なぜ蕎麦を打つのか?―美味い蕎麦を打ちたいから(第二回)

 前回『では、どういう風に手や腕を使うことが合理的なのでしょうか? 〈次回に続く〉』で終わりました。当然、私なりの水回しに対する考え方を述べるべきですが、それは一旦置いて、前回の出題のテーマ、「そば打ちで大事なこと」に一旦戻りたいと思います。

ほぼ全員が、『水回し』と答えたことはすでに述べました。私の期待と少し違ったことも述べました。では、一体お前は何を期待していたんだ?と聞きたくなると思います。

そば打ちでは、すべての工程が大事だ、と言ってしまうと身も蓋もありませんが、問いの答えとしてはそれでも良かったのです。そば打ちを始めたばかりの人、中級者、上級者、つまりそば打ちの上達段階で、大事なこと、難しいことは変わってきます。

初心者にとっては、適正な加水を行うことが、まず最大の課題になります。麺棒の転がし方も人によってはなかなか習得しがたいようです。皆さんもそば打ちが上達するにつれて、課題が変わってきたのではありませんか?

私も同じです。何とか曲がりなりにも蕎麦らしいものが打てるようになった時、私の関心は、スピードでした。いかに早くそばを打つか?水回しも練りも伸しも、すべて「感」だより。しかし、福島県山都町で真夏に行われた第一回生粉打ち大会で、大きな失敗をしました。たたみに入った途端、伸しが足りないことに気づきましたが、そのまま切りに入ってしまいました。今ならもう一度開いてのし直しますが、その時は、そんなことをしたら点数に響くと考えたのです。結果、どんなに細く切ろうとしても太い、硬いそばになってしまいました。珍しくその大会は、自分で茹でて、審査員に食味審査をしてもらう大会でした。ハナからアウトです。

その時に悟ったのは、厚みのチェックを欠かしてはいけない、という今に至るもある意味最重要な「教訓」でした。それ以来20年余、厚みのチェックには常に気を使ってきたつもりですが、つい昨年、途中までは調子よく切れていたのに、急に麺線が太くなったのに気づきました。横から麺帯を見ると、12枚のうちの何枚かが、明らかに厚くなっていました。私としては、厚みチェックは十分やってきたつもりなのに、伸しムラが発生していたのです。チェックが甘かったと言わざるを得ません。同じ回数を切って、キッチンペーパーで包むのが私のやり方なので、粉を落とそうと握った段階で、太さの違いが明らかになります。

どこに伸しムラが発生したかを探るため、12枚のうちの何枚目が厚くなっているのかを書き留めました。そして使い終わったカレンダーを12枚たたみで畳んだのちに開いてそれぞれに番号を付け、さらにもう一度たたんで、厚かったのが、伸しの段階のどのあたりだったかを割り出しました。

本伸しの最初の半分は大丈夫でした。後の半分のうちの真ん中寄りの部分に厚いところが集中していました。つまり、伸しの最終段階で、端のほうはともかく、厚みが見えない真ん中の部分に伸しムラが見られたのです。切りにも共通していることですが、作業の終盤になると、気が抜けるというか、集中力に欠けることが起こりやすいということでしょう。

30年近くそばを打ってきて、いまだに完璧な伸しができないことは私にとっては、大変ショックなことではありましたが、麺棒を3本使う江戸式のそば打ちで、完全に均一な伸しを実現することが、いかに難しいかの再認識につながりました。昔ちらっと見た「一茶庵のそば打ちビデオ」で講師の片倉英晴さんが、何度も何度も厚みチェックを繰り返していたのは、このことだったのだなと、今になってしみじみと理解できた気がします。

機械で伸せば、厚みはほぼ均一になりますから、機械切りと併せれば、麵線をきれいにそろえた美しいそばが出来上がります。他方、切りそろっていないのが手打ちそばの証だ、と居直るのは私は反対です。手打ちで、機械と見がまうばかりに美しいそばを打つ、それを究極の目標としたいのです。見た目にきれいなだけでなく、それは美味しいそばでもあります。

 

〈第三回へ つづく〉

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