なぜ蕎麦を打つのか?―美味い蕎麦を打ちたいから

板倉敏和(TOKYO蕎麦塾会員・全麺協副理事長)

「そば打ちの工程の中で最も重要だと思うことは何ですか?」という質問を、昨年の五段位の筆記テストに出しました。

正解が一つしかない質問ではなく、誰でも答えられる質問です。私としては、5段位を目指す皆さんが、「一体そば打ちの何処を重要だと考えているのか?また、その理由は何か?」ということが知りたい、という好奇心からの設問でもありました。選んだ工程とその理由を読めば、その人のそば打ちに対する理解度が大凡は分かるのではないか、という、若干上から目線的な考えもありました。

頭の片隅には、自分が考えもしなかったことを書いてくる人もいるのではないかという期待もなかったとは言えません。そうなれば、単に出題し、採点したに留まらず、自分も大いに啓発されるだろうと思ったのです。

結論から言いますと、残念ながら、ハンマーで頭をぶん殴られるような回答はありませんでした。冷静に考えれば、私をうならせるような突飛だが奥の深い解答を持ち合わせている人がいたとしても、大事な筆記テストで危険を冒さないかも知れません。試験慣れしている人ほどそうでしょう。無難に書いておけばそれなりの点数は取れるのですから。

その無難な答は、皆さんのご想像通り、「水回しが重要」です。これに零点を付けたら受験生から叱られるでしょう。私もそういう答が大半だろうとは思っていました。思ってはいましたが、現実に次から次へとそういう答が現れると、ちょっと味気ない気にもなりました。

水回しが重要であると自らのそば打ちの中で悟った人はどれ位いるのでしょうか。テキストに書かれていたり、先生が口癖のように言っていた、そんなことで、知識として知ったという人も多い気がします。

水回しが重要ですとは言いますが、では、どうやったら良いのかということについての具体的な記述はほとんどありません。「丁寧に、時間をかけて」というのですが、では時間をかければうまく行くのか?初心者は随分時間をかけますが、うまく水が回っていますか?

私のそば打ちは、指導者なしの独学でしたので、どういう風にすれば上手に水が回るんだろうか?と考えるようになったのは、そんなに昔のことではありません。それまでは無我夢中で手を動かしているだけでした。何も考えずに手を動かしているだけではありましたが、何ヶ月、何年と打ち続けている打ちに、知らず知らず、以前よりは水がきれいに回っている!ということに気付きます。

何のことはない、何度もやっているうちに上手になる、ということだったのです。今でこそ色々理屈を考えたりしますが、水回しに上達するには、回数をこなす、これが一番で、近道はないと今でも思っています。

そうは言いつつも、具体的に手をどう使うかとか、色々ノウハウがあるのではと思うのは当たり前で、私もその事を考えてきました。

そば打ちを始めて10年ほども経ち、それなりの蕎麦が打てるようになった頃でも、私は自分の蕎麦に何かが足りないと感じていました。ある時ふとしたことで、「水回しなのでは?」と気付くことがありました。それまでかなりの量の蕎麦を打ってきていましたので、水回しもそれなりにできていると考えていましたが、十分とは言えなかったようです。それ以来、水回しを最大の課題として取り組み、自分の蕎麦に対する違和感は徐々に薄らいでいきました。とはいっても後で述べるように、これだけで違和感を完全に払拭できたわけではありませんでした。

前述の通り、水回しの上達は、打った量にほぼ比例すると思います。ただ、無我夢中でやるよりは、その作業の意味を考え、より良くその目的を達成するには?と考えながら身体を動かす方がより効率は増し、進歩が加速します。

水回しの目的は、そば粉の一粒一粒に水が行き渡るようにする、ことです。それができていないのに纏めて捏ねに入ってしまうと、水を貰っていないそば粉は最後まで水が貰えず、麺になっても切れやすく、茹でても茹だらず固い食感を残してしまいます。捏ねることで全体に水が回る小麦粉とは違う性質です。

そういう性質を理解した上で、では、どういう風に手や腕を使うことが合理的なのでしょうか? 〈次回に続く〉

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